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大阪高等裁判所 昭和52年(ネ)989号 判決

控訴人

松田庸夫

右訴訟代理人

島武男

右訴訟復代理人

大宅美代子

被控訴人

大場政次郎

被控訴人

北野三良

右両名訴訟代理人

上坂明

外二名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一松下工業が子供用乗物製造業等の経営を目的として昭和三三年一〇月一七日に設立された株式会社で、松下がその設立以来の代表取締役であることは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、請求原因2記載の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

二控訴人は、本件手形金の支払が受けられなかつたことに関して、被控訴人らに対し、商法二六六条ノ三の取締役としての責任を追及するので、この点について判断する。

1  まず、被控訴人らについて松下工業の取締役就任登記がなされていることは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、被控訴人北野三良(以下「被控訴人北野」という。)は松下工業の設立時に、また、被控訴人大場政次郎(以下「被控訴人大場」という。)は昭和四一年一一月三〇日に、それぞれ松下工業の取締役に就任したものとして就任登記がなされ、それ以後も継続して取締役に重任されたものとして重任登記がなされていることを認めることができる。

もつとも、原審における控訴人、松下及び被控訴人両名の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、松下と被控訴人らとは、配偶者の兄弟姉妹又は兄弟姉妹の各配偶者という関係にあるところ、松下工業は松下のいわゆる個人会社であつて、株主総会及び取締役会を一度も開催したことがなく、右の各登記も松下が、株主総会で被控訴人らを取締役に選任する決議をしたことがないのに、これをしたように書類を整え、かつ、就任承諾書に被控訴人らの承諾印を得てなしたものであるが、控訴人は、被控訴人らが松下工業の真実の取締役であると信じて、松下工業と取引をしていたことを認めることができ、前掲被控訴人両名の各本人尋問の結果中の右認定に反する部分は、前掲松下本人尋問の結果及び弁論の全趣旨に照らして採用することができないし、そのほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によると、被控訴人らは、松下工業の株主総会で取締役に選任されたことはなく、単に商業登記簿上松下工業の取締役として登記されているにすぎないから、松下工業の取締役でないといわなければならない。しかしながら、前認定の事実からすれば、被控訴人らは、松下工業の取締役として登記されることを承諾していたというべきであるから、商法一四条の規定の類推適用により、自己が取締役でないことをもつて善意の第三者である控訴人に対抗することができないものと解するのが相当であり、その結果、被控訴人らは、同法二六六条ノ三の規定にいう取締役(代表取締役といわゆる平取締役とを別異に解すべき理由はない。)として、同条所定の要件が認められる限り、その責任を免れることができないものというべきである(最高裁判所昭和四七年六月一五日判決・民集二六巻五号九八四頁参照。)。そして、右責任の認められる根拠は、自己を取締役として公示せしめたことにより、被控訴人らが松下工業の経営に関与するものと信ずるに至つた控訴人の信頼を無にしないことにあるのであるから、その責任の有無についても、被控訴人らに取締役としての具体的任務があることを前提として、その懈怠の有無によつて判断するのではなく、一般的に真実の取締役であればその職務執行につき悪意又は重大な過失があると判断される具体的事情が認められるか否かによつて判断すべきものと解するのが相当である。

2  そこで、被控訴人らに対し商法二六六条ノ三所定の取締役としての責任を問うことができるかどうかについて検討する。

(一)  〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

松下工業は昭和四八年六月二〇日に手形の不渡りを出して倒産したところ、被控訴人北野は、松下工業に対し、設立の約二年後から倒産時までに約一九〇〇万円を貸与し、松下工業はこれを設備資金ないし運転資金として使用しており、また、被控訴人大場も、松下工業に金員を貸与したほか、長瀬農業協同組合の同被控訴人に対する手形貸付口座を利用して松下工業の受取手形を割り引いたり、松下工業が同組合から貸付けを受けるに際して保証人となるなどして、いずれも松下工業に対し資金面で援助ないし便宜を与えているが、被控訴人らは、松下と前示のような人的つながりがあつたため、そのよしみで好意的に右援助ないし便宜を与えていたにすぎず、松下工業の経営そのものにはまつたく関与していなかつたし、その経理の実態がどのようなものかも知らなかつた。

ところで、松下工業は、昭和四四年ころ融資先の合名会社朝日製作所が倒産して、同会社に対する債権の回収が困難となつたことから、資金繰りが次第に悪化し、倒産の数年前ころからいわゆる融通手形を振り出して資金繰りの一部にあてていたが(控訴人との間でも融通手形の交換をしており、本件手形の中にも融通手形の見返り分が含まれている。)、ついにその手当てがつかず、前示のとおり手形の不渡りを出して倒産するに至つたものであり、松下工業の倒産前約三年間の経営及び財産の状況の概要は次のとおりであつた。まず、昭和四五年一〇月一日から昭和四六年九月三〇日までの事業年度においては、売上一億三一六六万余円、売上利益一九三五万余円、営業利益八八二万余円、流動資産五六四九万余円、固定資産二八四〇万余円、支払手形二九六六万余円、借入金四六二四万余円、その他の負債六五一万余円、当期純利益一八七万余円、次期繰越欠損金一五一万余円であり、特別損失として前記朝日製作所等の倒産による貸倒償却五〇七九万余円が計上されているが、それは、松下の松下工業に対する債権四九七三万余円を放棄した免除益を計上することによつてほぼ均衡が保たれている。次に、昭和四六年一〇月一日から昭和四七年九月三〇日までの事業年度についてみると、売上一億三二三九万余円、売上利益二三八四万余円、営業利益一五四二万余円、流動資産五一四五万余円、固定資産三〇六一万余円、支払手形二五二八万余円、借入金五一四五万余円、その他の負債五六四万余円、当期純損失二八〇万余円、次第繰越欠損金四三二万余円であり、そのほかに前記朝日製作所の破産による貸倒償却損失六九七万余円が計上されている。ところが、昭和四七年一〇月一日以降については、松下工業が倒産したため、正規の財務諸表が作成されておらず、わずかに松下工業の倒産時の昭和四八年六月二〇日付で急拠作成された貸借対照表(甲第一三号証)が存在するにすぎないところ、同表によると、流動資産二九四三万余円、固定資産七九〇〇万余円(従来計上されていなかつた土地五二〇〇万円が計上されているが、この土地は工場敷地とされているから、松下個人の所有地(甲第二三ないし第二五号証)を松下工業の債務の弁済にあてるために事実上提供することになつたことによるものと推測される。)、支払手形一億一四〇六万余円、借入金一億四二五六万余円、その他の負債二五六七万余円、当期純損失一億七三五二万余円となつている。

以上の事実を認めることができ、〈証拠判断、略〉そのほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  右に認定した事実によると、昭和四五年一〇月一日から昭和四七年九月三〇日までの松下工業の経営及び財産の状況は、前記朝日製作所等の倒産による貸倒償却損失を計上せざるをえなかつたほかは、営業面で特に不審の点があるようには見受けられないが、その後の状況は、倒産時に急拠作成された貸借対照表があるだけで、これを正確に把握することは困難であるものの、当時の松下工業の財産状態が著しく債務超過の傾向にあつたことは窺い知ることができるものというべきである。そして、松下工業は、右のような財産状態のもとでついに資金繰りの手当てがつかず倒産するに至つたものであるが、以上の事実だけは、松下工業の倒産につき経営者(取締役)の放漫経営等職務執行上の重大な過失があつたものと判断するのはなお早計にすぎるというべきであるし、破産申立て等の手続を早い時期にとつておくのが当然であつたと速断することもできない。

もつとも、本件手形振出当時松下工業の資金繰りは極度に悪化していたものと考えられ、したがつて、本件手形を振り出しても満期に決済することができない虞れが多分にあつたというべきであり、このような時期に松下が、たとえ満期には決済することができるとの見通しのもとに本件手形を振り出したとしても、その振出行為については重大な過失があつたものといわざるをえない。しかし、前記認定事実によれば、被控訴人らが松下工業の経営に参画し、その資金操作に関与していたとはとうてい認めることができないから、被控訴人らが松下の本件手形振出行為につき右の事情を知つていた、いいかえれば悪意であつたということはできないし、他にこのことを認めるに足りる証拠はない。

ところで、取締役は、会社に対し、代表取締役の業務執行を監視し、必要があれば取締役会の招集を求め、取締役会を通じて代表取締役の業務執行が適正に行なわれるようにすべき職責を負つているものということができるが、それは、取締役に対して代表取締役の個々の具体的な業務執行につき監視義務を負わせ、その懈怠に対して直ちに商法二六六条ノ三所定の取締役としての責任を負わせようとする趣旨でないことはいうまでもない。そこで、これを代表取締役の手形振出行為についてみると、手形振出しが特別の理由もなく、また確かに決済できる見込もないのに急激に増加するなどの不審な点があり、しかも、その事実が取締役として職務上当然に知りうる状況にあつたなどの事情がある場合に、これをそのまま放置すれば重大な監視義務の懈怠があつたとして責任を免れることができないと考えられるが、右のような事情がない場合には、直ちに重大な過失があるとしてその責任を問うことはできないものというべきである。そうだとすると、前記に認定したところから明らかなように松下工業の支払手形が昭和四八年六月二〇日現在で従前と比較して著しく増加して上ることは否定することができないとしても、本件手形の振出が右のような事情のもとでなされたことを被控訴人らが取締役として職務上当然に知りえた状況にあつたとの事実については、本件全証拠によつても(もちろん被控訴人らが前認定のとおり松下工業に対し資金面で援助ないし便宜を与えていたという事実を考慮しても)これを確認することができないので、本件手形振出行為に関して被控訴人らに取締役として著しい監視義務の懈怠があつたとすることはできないし、他に右義務懈怠の事情を認めるに足りる証拠はない。

3  そうすると、控訴人の被つた損害が直接損害もしくは間接損害のいずれであつても、控訴人の被控訴人らに対する商法二六六条ノ三の規定に基づく損害賠償請求は、すでにこの点で証明不十分として棄却されざるをえない。

三さらに、控訴人は、被控訴人らが松下と支払見込みのない本件手形の振出しを共謀し、もしくは松下の本件手形振出行為を容認した旨主張するところ、その主張が共同不法行為に基づく損害賠償を請求する趣旨であるとしても、控訴人の右主張事実を認めるに足りる証拠はないから、失当として棄却を免れない。

四よつて、以上の判旨と結論を同じくする原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(唐松寛 山本矩夫 平手勇治)

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